台湾海外研修(ニ日目)
日台友好のシンボル 八田與一記念公園に行ってきました!

台湾海外研修二日目は、烏山頭ダムと八田與一記念公園に行ってきました!


八田與一さんというと、台湾で最も有名な日本人で、不毛の地だった嘉南平原を緑の大地に変えたことで、今もなお、日台友好の象徴となっている方です。


2021年12月5日に、台湾✖️八王子市ホストタウンイベントで、「台湾ダムの父 八田與一が残した真の日本人の心」というタイトルで、八田與一さんの孫、八田修一さんをゲストとして招待し、オンラインで講演会をして頂いて以来、是非とも、一度、おもてなし国際協議会のメンバーと一緒に現地に訪れたいと思っていました。


インターネットで調べた限りでは、烏山頭ダムまでの交通が大変不便そうで、夕方に台北市で大事な集まりがあることもあって、時間通りに帰ってこれるか、心配していました!


しかし、今回、通訳をして下さった台湾人の方(おもてなし国際協議会に毎回関わって下さっています)のお父様が、台湾で旅行会社に勤めていた方(現在は退職)で、今回の観光にも同行してくれることになり、交通や食事も、全て手配して下さいました!


台湾高速鉄道で、台北駅から嘉義駅まで行き、そこから9人乗りの貸し切りパス(579元)で、1時間弱で到着することが出来ました!


貸し切りバスで移動しながら、通訳のお父さんが「この地域は、40日間、雨が降っていなかったので、断水をしている。ダムの放水量も半分に減ってしまった。昨日は久しぶりに一日中、雨が降った。みなさんが来たから、祝福の雨を降らせてくれたのだと思う。」と喜びながら話してくれました。


烏山頭水庫と書かれた入り口に到着し、その前に立ったとき、1920年から10年の歳月をかけて、1930年に烏山頭ダムを完成させた当時の八田與一さんと、共に働いた作業員達の歓喜に沸く姿が思い浮かび、何とも言えない感動が、押し寄せてきました。


八田與一記念館のすぐ隣には、当時のままの放水路があり、水不足なので、水量は制限されていましたが、水は生き生きと流れ続けていました。


記念館から放水路の方に続く階段を降りて、3メートルほど行った場所は、外代樹夫人が八田與一さんの死後、後を追うように、靴を脱いで、入水自殺した場所でした。


烏山頭ダム完成後、1942年に八田與一さんは、フィリピンに派遣されて向かう途中、米潜水艦の魚雷により、乗っていた太平丸が撃沈し、非業の死を遂げます。


敗戦後、大部分の日本人は本土に引き揚げましたが、外代樹夫人は『台湾の土になりたい』という言葉を残して、1945年9月1日、烏山頭ダムの着工日に、命を絶ったそうです。


八田與一記念公園は、広大な場所なので、半日では回れないはずでしたが、バスで公園内を移動できて、本当に良かったです!


こんな素敵な観光地も、戦後、しばらくの期間は、管理する人もいなくて、荒れ放題になっていたそうなのですが、李登輝総統が大改装してくださるようになり、今の姿に変化したそうです。


直接見たかった八田與一さんの銅像ですが、実に威厳があり、右手で頭を支えながら、遠くを見ている姿が、ただひたすら、嘉南平原の人々の幸せな未来のために、考え続けている姿に見えて、感動しました!


最後に烏山頭ダムを一周する遊覧船に乗ることができました!
台湾語で話されるガイドの方(中国語が出来ても聞き取れません(笑))も、いらっしゃいました!
ダム完成当時は、東洋一と言われた大きなダムなのですが、上から俯瞰すると、青いサンゴ礁のように見えることから、「珊瑚潭」と呼ばれる美しいダムでもあるのです。


ダムを遊覧船で回るなんて、全く経験したことがないですが、「乗っているスピードで、きちんとダムを回れば、3日は懸かる。」とガイドから聞いて、その巨大さに驚きました(^_^;)


ダムの近くに住んでいる少数民族や、ダムの建設のために、山に移動した家々の話、ダムで捕れる魚の話など、尽きることのないガイドの話を聞きながら、烏山頭ダムの魅力を堪能出来た時間でした!

台湾海外研修(二日目) 八田與一記念公園