台湾海外研修二日目
台湾民主化の炎は消えず!鄭南榕記念館にて

八田與一記念公園を出発し、次の目的地である台北市の鄭南榕記念館に移動しました!

鄭南榕記念館は、民主化運動を推し進め、壮絶な最期を遂げた鄭南榕さんを紹介した記念館ですが、当時の焼け焦げた編集室をそのまま利用しています。


私は今回で3度目の訪問でしたが、2018年8月末に、鄭南榕さんが主人公となっている演劇「71日的台灣的白百合」を八王子市で公演した時以来、台湾に行く度に、鄭南榕記念館を訪れ、台湾観光協会会長 葉菊闌さんにも、挨拶させて頂いていました。


今回は、演劇「71日的台灣的白百合」の演出家 馬場さくらさんも合流することになったため、葉菊闌さんとその娘 竹梅さん、緑島に10年投獄された著名な政治受難者 蔡焜霖さん、2022年10月に公開され、台湾で初めて女性の政治犯を扱った映画『流麻溝十五號』の原作者 曹欽榮さんも集まってこられ、一大イベントになっていました(^^;)    


私は、3年ぶりの訪問だったため、久しぶりに会う、鄭南榕記念館の関係者に挨拶をしたり、初訪問のメンバーたちが台湾の民主化運動の歴史について、理解を深めてもらえたらと思って訪問するつもりだったのですが、想像と違い、かなり戸惑いました(^^;)


最初に気づいたのが、蔡焜霖さんの変化でした。
4年前にお会いした時は、一緒に訪問した日本人の若者たちに、戒厳令下の当時について、つい最近のことのように熱く、流暢な日本語で、時間の過ぎるのも忘れて話して下さったのが、印象的でしたが、今回は、杖をついていらっしゃり、真直ぐ歩くことも、ままならない状態でした。


「最近は、毎回、今日が最後だと思って、鄭南榕記念館の説明をしている。」
と仰っていて、生き証人の灯火が消えかかっているのを目の当たりにしました。


最初に、葉菊闌さん、竹梅さん、蔡焜霖さん、曹欽榮さんが、前に並んで座られて、私達に向けて、一言ずつメッセージを下さってから、鄭南榕記念館を見学することになりました。


展示された資料の説明を、鄭南榕記念館のスタッフの方が行っていたのですが、途中から葉菊闌さんに交代され、心に訴えるメッセージを語られました。


葉菊闌さんが、このように直接、説明するのは初めてだと、スタッフの方が仰っていました!

「この鄭南榕記念館は、愛に満ちている。家族のための愛、台湾のための愛だ!
彼は、出版を通して、民主化運動を推し進めた。愛が彼を突き動かしたのだ!
『自由時代』という雑誌は、たくさんの取材をして作った充実した内容だったから、多くの人に読まれるようになった。彼は自分の言いたいことを主張するのでなく、責任を持って発信したのだ。」
と葉菊闌さんが、心情を込めて話してくださいました!


鄭南榕さんは、生前、何度も『私を捕まえられない。捕まえられるのは死体だけだ。』
と話していましたが、焼身自決を決心していた日のことについて、葉菊闌さんに、一言も話してくれなかったそうです。


そして、鄭南榕さんの壮絶な死を前にして、あまりにも悔しくて、「彼の志を受け継いで、立ち上がるのは、私しかいない。」と思い、それまでの仕事を辞めて、政治の世界に果敢に飛び込んだそうです。


私が最後に葉菊闌さんの娘 竹梅さんに「竹梅さんは、わずか9歳という幼い年齢で
 『お父さん、お日様のようなお父さん
  お日様がなくなったら 私は泣き声をはりあげる でもお日様は戻ってこない』
という御自分で書いた深い内容の詩を、お父さんの死を悼む群衆の前で、心情を吐露しながら詠まれていましたが、その時、どういう思いで、詩を詠まれたのですか?」 と尋ねました。


「文学の才能は、お父さんから受け継いだものです。お日様がなくなったということは、それでも日はまた昇ることを意味していました。」
と竹梅さんが、話された後に、続けて葉菊闌さんが、このように話されました。


「私は娘に厳しい母親だったが、父の鄭南榕は、娘に太陽のように温かく、優しい存在だった。私は、すぐに泣いていたが、娘は、ずっと泣くこともできずに成長した。しかし、娘が、やっと泣けるようになって、本当に嬉しい!」
と母娘共々に泣いている姿に、思わず、もらい泣きしてしまいました。


「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」


という言葉があるように、鄭南榕さんの台湾に灯した民主化運動の炎は、30年以上経った今も尚、多くの人々の心に残り続けていることを鄭南榕記念館で、垣間見ることが出来ました。歴史的な現場に立ち会うことが出来て、とても、胸が熱くなりました!