大久保長安 ゆかりの地を巡る!(八王子市街)

6月17日まち歩きで学ぶ「第一回大久保長安と八王子宿」に参加しました!
八王子の中心街の基礎は、430年前に大久保長安によって築かれたそうで、その当時の道やお寺が、そのまま残っています。


4月に行われた「八王子宿巡り絵図&大久保長安スタンプラリー」の時には一人で、何も分からずコースに沿って、迷いながら歩いたのですが、今回は大久保長安の会 会長の鈴木 泰さんがガイドをしてくれると聞き、大変楽しみにして、参加しました。


当日、天候に恵まれ、JR八王子駅北口から出発したのですが、たくさんの参加者が集まっていて、2チームに分けないと統率できないほどになっていました。

コースは以下の通りです。

9:30~14:00
【コース】
JR八王子駅→子安神社→市守神社(お酉様)→竹の鼻一里塚跡→大義寺→八幡八雲神社→八日町交差点→伝法院→まちの駅CHITOSEYA(休憩)→禅東院→極楽寺→宝樹寺→水天宮→産千代稲荷神社


4月に、初めて訪れた八王子市新町の竹の花公園にある一里塚ですが、15宿の一番端にあり、八王子の入り口だったそうです。江戸からは11番目にあたります。一里は約4キロとのことですが、一里=36町=2160間も長安の時に決めたそうです。


八王子は大久保長安が、もっと長く滞在していた場所で、心のままに作ることができた場所だったようです。八王子は宿場町として栄えたと、何度か聞いたことがありましたが、鈴木さんによると、八王子が宿場町で栄えたのではないと鈴木さんからお聞きして、びっくりしました。


鈴木さんによると「八王子以外にも、小仏宿、日野宿、府中宿などがあったため、宿場町としてだけでは、栄えることがなかった。八王子では毎月4と8のつく日に市場が開かれ、そこに集まってきた商人たちが、その前後3日間滞在していたことや、市場の売り買いで往来する人々によって栄えた街だった。」と聞き、とても納得のいく話でした。


最終地点の産千代稲荷神社にある、大久保長安記念館で鈴木さんと一緒に食事をしたりしながら、歓談の時間がありましたが、「大久保長安が、猿楽師の息子として生まれ育ったことを考えると、豊臣秀吉が農民から出世して天下を取ったような大出世ではないでしょうか?」とお聞きしました。


「実は猿楽師という地位は、高い地位で、客人を招くうえで領主にとって、とても大事にされた存在だった。甲斐の領主 武田信玄と猿楽師の父、大蔵太夫十郎信安は、とても近い関係だっただろう」と説明して頂き、認識が、ずいぶん変わりました。


街歩きの途中で、桐生市から移住されて八王子市に住んでいらっしゃる、彫刻家の方と親しくなりました。


私達の団体が、去年の7月9日に桐生市で七夕企画「絹にねがいを〜シルクロードが紡ぐ街 桐生市 富岡市、八王子市〜」を有鄰館煉瓦造で行った話をした後に、「桐生市を一諸に盛り上げましょう」という話で盛り上がり、大久保長安記念館では、記念写真まで一緒に撮ってくれました!


懇談会の最後に、次回の広告があり、今回とはコースの違う「第二回大久保長安と八王子宿」を、9月頃に開催する予定だと話されていました。
私も彫刻家の方も、続けて参加する気満々なので、元気な顔で次回も会えたらと思っています。