パラリンピックの父 グッドマン博士を描いた映画「ベスト・オブ・メン〜人間の最高〜」を見ました!



様々な困難の中で迎えた東京オリンピックでしたが、選手たちや関係者の尽力、世界各国からの温かい応援に支えられて、感動的に16日間の幕を閉じることが出来ました!


これまで東京オリンピック・パラリンピックを開催するまでの過程で人知れず労苦されたすべての方々に感謝したいと思います。


いよいよ8月24日からパラリンピックが開催されます!


東京2020大会の3つの大会コンセプトは「全員が自己ベスト」「多様性と調和」「未来への継承」ですが、「多様性と調和」を最も実感するのが、パラリンピック競技だと思います。


今では世界最高峰の障がい者スポーツ大会として世界中の人々に親しまれていますが、パラリンピックを最初に行った、グッドマン博士に関する映画「ベスト・オブ・メン〜人間の最高〜」を知り合いの紹介で見るようになりました!


ユダヤ系ドイツ人医師、ルートヴィヒ・グッドマン博士は、1944年にイギリスの郊外にあるストーク・マンデビル病院に就任します。


当時、戦争による脊髄損傷の患者は、棺桶に入れられて病院に運ばれ、鎮静剤を投与され、床ずれに苦しむまま放置され、そのままほとんどの人は亡くなっていました。


死を待つばかりで、希望を失っている患者一人一人にグッドマン博士はこう言います。「君には、いい未来がある。約束する。」


そして、今までとは全く新しい方法で、患者の治療と回復のために、寝る間も惜しんで働きました。


最初は患者からも、看護婦からも、周りの医師達からもグッドマン博士のやり方は理解されず、ありとあらゆる文句を言われました。しかし、グッドマン博士の患者に向かう愛が少しずつ周りに伝わっていき、看護師の一人が、グッドマン博士のやり方に強く反対する医師にこのように言うようになったのです。


「脊髄患者の看護はとても辛い事でした。次々と死ぬ患者さんを見け届けました。出来ることは患者の手を握って、葬儀にバラを送るだけ。グッドマン先生はそれ以上のことをされています。」


一方、患者達の中にも変化が起こりました。


ベッドの上で死を待つ人たちだったのに、だんだんと部屋の雰囲気が明るくなり、お互いに知人となり、友人となって、家族のように親しくなっていったのです。


また、グッドマン博士は患者達が自立することを目的にして、自らベッドから起きて、車椅子を使ったり、自分の足で動けるようにし、さらにはリハビリにスポーツを、初めて取り入れたのです。


グッドマン医師のスポーツを取り入れたリハビリとその効果は、多くの人々に注目されるようになりました。


そしてグッドマン医師は1948年に、入院患者を対象としたストーク・マンデビル競技大会を開催し、この大会は国際大会となって、パラリンピックへと発展していくのです。


ストーク・マンデビル競技大会の開催を、グッドマン博士が政治家などの有力者の前で提案した時に、医師の一人がこのように反対しました。


「オリンピックは、それぞれの国の最高(the best of nations)を引き出す競技大会だ。身体障害者がスポーツで競い合って、一体何が引き出せるというのだね?」


それに対してグットマンはこのように答えました。「引き出せるのは、人間の最高(the best of men)だ」と。


一人の情熱と行動が、患者たちを変え、周りの認識を変え、ついには世界をも変えていったのです。


今回の東京パラリンピックを通して、このような新しい歴史が始まることを期待します!




失ったものを数えるな 残されたものを最大限に生かせ
-ルードリッヒ・グッドマン-