2023年9月1日は、関東大震災が起きて100年の節目にあたります。

関東大震災については、おぼろげな知識しかなく、遠い昔のこととしか考えていなかったのですが、メディアでよく取り上げられたり、友人からも、ふとしたきっかけで、関心を持ち、9月1日に、新宿歴史博物館での「震災からモダン都市・新宿へ」展示を見に行きました。


関東大震災の死者・行方不明者数ですが、何と、10万5385人で、明治以降で、最大の被害者が出た震災だったことが分かりました。(2位が東日本大震災で、2万2312人)
東京市は死者が7万人だったのですが、そのうちの95%が火災によるものだったようです。焼失面積は95%。


震災後の新宿御苑前の炊き出しや、被災者の仮小屋の写真や、救護活動に関する写真や絵など、当時の様子が生々しく伝わってきました。


新宿の周辺地域は火災の被害は少なく、死者、行方不明者は430 人余りだったようです。そのため、東京東部から東京西部に移住する人が多かったり、それ以降、私鉄各線を新宿駅から西に路線を広げたこともあって、新宿が、どんどん発展していったそうです。


第三部「帝都の復興」の展示の中で、よく、お見掛けする写真、そう、後藤新平氏の写真が掲載されていました。後藤新平氏といえば、民生長官として、台湾で、アヘンの撲滅を行ったり、上下水道のインフラ整備をしたり、台湾で問題になっていた伝染病対策を行うなど台湾開発の功労者として知っていましたが、実は関東大震災から東京を復興させた方でもあったのですね。


関東大震災によって、焼け野原になった東京の福建を任された時、66歳でしたが、「復旧ではだめだ、復興させないといけない」と100年後を見据えた都市計画を行ったのです。


震災当時、大きな問題となった、火災に対して街を燃やさない街づくりをしたり、450以上の復興公演を作り、震災時に道が塞がらないように、道と道を繋げたり、45メートル以上の幹線道路を作るなどして、10年足らずで東京を近代的な都市に復興させることができたそうです。困難な時代にこそ、逆に歴史的な大人物も出て来るようになっていますね。


関東大震災後、100年たった今、震災による災害に対して、自分だけが備えることだけでなく、周りの人たちに対しても、対応できる備えをすることも私たちの団体で課題として考えていきたいと思っています。