韓国の多文化共生団体 ボランティア クラブとの交流


この度、韓国で、10月14日〜22日の間、滞在してきました。今年、最後の海外が、韓国になりましたが、韓国での最初に、多文化共生団体「ボランティア クラブ」キム ミナン代表と、事務所で出会うことができました。


2007年に創設して以来、フィリピン等、いくつかの東南アジアで、児童養護施設を運営していたらり、海外ボランティアツアーを企画し、国内でも、多文化共生の活動を、いち早く行ってきた団体で、学ぶことが多くありました。


日本は今年、在留外国人が、273万人を超えたことで、話題になっていますが、人口や、土地が3分の1程度の韓国では在留外国人が、なんと200万人を超えています。


特殊なのは、その中で、一番人口が多いのは在韓中国朝鮮族で、70万人を超えています。中国に朝鮮族自治区がありますが、所得が圧倒的に違っているため、コリアンドリームを夢見て、特に1990年代から、韓国に多く渡っていくようになりました。
ボランティア クラブの事務所がシンリムという場所にありますが、その近くのテリムに在韓中国朝鮮族の朝鮮族タウンが、存在しているため、 彼らとの交流が、盛んでした。


代表のミナンさんが、「明日、中国人同胞の方達を連れて、3 1運動に関わる場所のツアーに行くので、一緒に行きますか?」と誘っていただいて、次の日、同行させてもらいました。韓国には、何度も足を運びましたが、このような歴史探訪は、初めてで、とてもワクワクしましたが、同時に、100年前の反日運動の核心地を回ることなので、日本人1人が参加して、どう思われるのか、少し心配になりました。


コースは、元 韓国のホワイトハウスに当たる、京橋荘→西大門刑務所→ 独立門→詩人 尹東柱記念館→独立宣言を読み上げた、タプコル公園でした。貸切バスで、それぞれ自己紹介する時間がありましたが、朝鮮族の方の中にも、中国語しか話せない人、朝鮮族をまとめている人、北朝鮮から脱北して、韓国に在留している人と、いくつかに分かれていましたが、共通して、みんな年齢は50代以上で、韓国の歴史について、詳しく学んで、韓国国民と思いを一つにしようと集まってきていました。


自己紹介の時間に、自分の番になり、「日本の東京から来ました。日韓の問題の悪化している中で、もっと韓国の歴史を学んで、関係回復の糸口を見つけたいです。」と話したのですが、その後に、周りの方から、温かい声をかけてもらいました。


特に、戦後の韓国臨時政府のホワイトハウスとも言える京橋荘が、当時の姿に近い形で、今も記念館となって残っていて、金九先生という方が、韓国臨時政府当時の指導者として、国を指揮していた時の面影が生き生きと伝わってきました。


「私たちの国が世界で一番美しい国になることを願う。一番豊かな国になることは願わない。私たちの富力は、生活を満たすくらいで十分である。限りなく持ちたい力は文化の力である。文化の力は私たちの誇りだ。」と金九先生の言葉が飾られていて、血が飛び散る壮絶な最期を遂げた時の服や、写真も展示されていました。


小さな国が生き残るためには、命をかけた戦いがあり、それを支える、民衆にも分かりやすい実存的で、美しい思想が同時にあるものです。
歴史は繰り返すと言います。偶然のように参加した31運動に関する歴史探訪でしたが、当時の韓国人のことを知ることで、今の日韓関係の解決の糸口が、見つかるのではないかと今、考えるようになりました。

ボランティア クラブのキム ミナンさんからインタビューしてもらった内容が、韓国語ですが、youtubeに載っています。