上映中の「Fukushima50」是非、皆さん、見てください!

 今年の3月11日は、コロナの影響で、東日本大震災の追悼行事の縮小が相次ぎ、震災の風化を危惧する記事が目につきました。
 正直、私も、その当時、大阪にいて、揺れを全く感じなかったですし、東北に知り合いもいなかったりして、震災直後に、石巻にボランティアに行ったり、大阪で震災支援活動もしましたが、9年前の大災害が、実感できなくなっていました。


 一方、台湾の蔡英文総統が、日本語で、「災害のたびに台湾と日本はお互いに寄り添って逆境を乗り越えてきたとし、現在も共に新型コロナウイルスに立ち向かっています。だからこそ、本日の午後2時46分、私は日本の皆さんと一緒に犠牲者のご冥福を祈り、黙祷します」と、メッセージを送ってくださったのを、伝え聞き、感動すると共に、少し良心の呵責を感じました。

 

 また、去年の秋に韓国を訪れた際に、ソウル市の新林洞で、多文化共生事業をされている、ボランティア クラブのキム ミナン代表から、日本のNPO法人の代表としてインタビューして頂きましたが、「福島の原子力発電所の件で、韓国では、その影響を恐れている人は多いですが、おもてなし国際協議 代表として、どう思いますか?」と聞かれました。

 

 その時「危険か、どうかというより、福島の人たちが、どのように、もがいてきたか、どのように今も、見えない風評被害と戦っているか、まず、現地の痛みに目を向けて欲しい。」と答え、ミナンさんは、「なるほど、そういう視点は無かったですね。」と仰っていたのが、思い出されます。しかし、実は、自分も福島の人たちと接したことが、ほとんど、無かったですし、実体の伴わない発言をしてしまったと反省していました。

 

 そんなこともあって、福島第一原発事故を扱った映画「Fukushima50」の広告が、いくつか目に入ってきたので、時間の合間を見つけて、3月13日に立川シネマシティに行くようになりました。
 ただ、原発について、あまりにも知らないので、話の展開についていけるのか、少し心配もしていたのも事実です。

 

 「Fukushima50」は、最初から行き詰まる展開の連続で、いつのまにか映画の世界に没頭していました。

 

 原発内に命を懸けて残った、50人の作業員の中で、所長 吉田昌郎氏(渡辺 謙氏)さんの指導力、部下に対する思いやり、温かみ、犠牲の精神であったり、現場の最前線で指揮をした、福島第一原発1・2号機当直長 伊崎 利夫氏(佐藤 浩市 氏)の勇気、冷静な判断などに、人生の哲学を見ることができましたし、死を覚悟した50人のさまざまな、葛藤や、涙や、友愛の深さが、ひしひしと感じられ、感動で、胸が一杯になりました。

 

 扱っている内容が、慎重に扱わないといけない内容なので、見る人によっては、否定的な意見もあるでしょう。私たち、おもてなし国際協議会も一年に1、2度、世界擬似体験演劇を上演し、実存していた、あるいは、実存している「隠れた偉人」を知ってもらい、彼らを通して、日本人が忘れかけている「大事な精神」を伝えていますが、「事実に忠実でない」とか、「表現が偏っている」という意見は必ず出ます。
 しかし、表現者が作品を作る上で、演出のない作品は作品にならないので、多少の脚色が出たり、役者の個性と、実際の人物に違いがでるのは、仕方のないことです。それよりも、作者が伝えたいメッセージを受け取ろうとすることが必要だと思います。

 

 「Fukushima50」という言葉は、原発内に残った作業員50人のことを、海外で呼ばれるようになった名称で、そこから、映画のタイトルになったそうです。どういう意味があるか、よくは知らないのですが、海外視点も踏まえて、作品を製作したのでは、とも考えられます。
 知識のある人には、映画中に、不自然なくらい説明が多かったかもしれないですが、海外の人が見ても理解できる作品としてイメージをしていたからかもしれません。

 

 私も含めて、東日本大地震について、よく分かっていない日本人や、外国人が今後、時が経つにつれて、増えて行くでしょう。そういう立場の人たちに福島の原発事故のことを知ってもらうことは、今後、さらに大事になってくると思います。

 

 そして、より多くの人に知ってもらうには、分かりやすく、感動的に映画で伝える方が効果的だと思います。映画は臨場感が違いますし、伝えるメッセージの強度が違います。また、一度作ると、いつまでも見ることができるし、翻訳をすれば世界のどこでも、見ることができます。
 福島の原発を扱う映画としては、これほどの大作となると、今後も作れないかもしれません。2013年に食道癌で亡くなった吉田所長から、1年前に、直接、取材をして書いた原作を映画化したものですし、時期的にも、復興オリンピックの年に合わせて公開することになった絶妙のタイミングだからです。

 

 もし、この映画が、韓国語に翻訳されたら、ボランティア クラブのキム代表だけでなく、多くの韓国人にも、紹介したいですし、福島第一原発についての認識が変えられる気がします。
 また、今年中に、福島にも行ってみて、現地の方とも交流する機会を必ず作り、福島の将来についても、共に考えたいと思っています。