新朝鮮通信使の2日目(名古屋→清見寺→高麗博物館→八王子)

青春18切符での移動は、公演関係の道具を入れた、大型のスーツケースを持ちながら移動させるため、乗り換えの多い、電車移動で、大変です。

今回、名古屋の宿泊を手伝ってくれた友人たちが、韓国の劇団員に「随分、大変な旅行をしていますね。」と話すと「昔、朝鮮通信使が日本に渡ってきて、江戸までの道のりを歩いたことを考えたら、このように苦労して行くことに、意味があるし、楽しいですよ。」と答えていたそうです。

  早朝、6時過ぎの電車に乗って、次の目的地、静岡県興津町にある清見寺に向かいました。

静岡県は、韓国との関係が深く、劇団シルクロードの故郷でもある、忠清南道と、友好協定を結んで6年になるそうです。

清見寺は朝鮮通信使が、来日した12回の内、6回訪問し、第1回目と、第3回目は宿泊をした由緒深い場所です。

清見寺のある興津地域で、街づくりの活動をされている、AYUドリームの代表 雨宮さんという方に、電話で事前にお聞きしました。AYUドリームは、朝鮮通信使の行列を再現したり、「誠信の交わり」というタイトルで、2019年10月19日に、朝鮮通信使に関する演劇を上演をするなど、積極的な活動をしていて、韓国の学生たちも、よくこの地域を訪れることを聞きもし、是非、代表の雨宮さんと交流がしたかったのですが、日程が合わず、清見寺の観光だけをする時間になりました。興津町は海辺の静かな町でしたが、興津駅から20分弱ほど歩いて、清見寺に到着しました。

清見寺の中を一周しましたが、当時の朝鮮通信使による扁額(へんがく)や多くの詩書が、清見寺に残されていて、庭も、趣きがあり、徳川家康からも愛されたほどだったようで、駿河城から、徳川家康が、直接、持ってきた岩もありました。

二階に登って見える光景は、とても幻想的で、朝鮮通信使の方々と、迎えた日本人との間で、時間を忘れて談話したり、詩を書いたりする姿が、思い浮かびました!

  あらかじめ予約しておかなかったため、説明をしてくれる人がいなかったのと、次のスケジュールまでに時間が無く、ゆっくり鑑賞する時間は無かったですが、また、訪問したい場所でした。

荷物を持っての10人での移動は、思ったより、時間がかかり、食事もしているうちに、1分差で、電車を逃したりもして、予定時間より、随分、遅れて、東京に到着することになりました。

東京駅→大久保駅に到着し、飛行機で成田から来た二人のシルクロードのメンバーと合流して、26日、最後の訪問先である高麗博物館に到着しました!

  高麗博物館では、ちょうど、朝鮮通信使のパネル展を行なっていたのと、埼玉県川越市で、川越唐人揃いー朝鮮通信使ー多文化共生・国際交流パレードの事務局長をしていらっしゃる小川さんが、重要な部分を説明してくれました。

高麗博物館は、日本人と、在日韓国朝鮮人の市民が賛同して「作る会」ができ、活動が始まったため、普通のビルの7階にある小規模な場所ですが、市民の 市民による 市民のための博物館であるアイデンティティがあります。

  なので、朝鮮通信使の資料も、本物の一次史料はなく、二次資料の展示だけれども、あくまで市民の視点で、展示し、説明をしようとしていると、小川さんは、話されました。ちなみに、小川さんは、元  高校の歴史の教師だったそうです。

シルクロードのメンバーが熱心に説明を聞き、質問している姿に、小川さんも、嬉しそうに深い話をしてくれたり、大事な資料も見せてくれたりもしました。

最後には、高麗博物館  前館長もやってこられ、上の階にあるアリラン図書館を紹介して下さったり、施設のボランティアの方々との交流もすることができ、楽しいひと時を過ごすことができました!