日韓の絆 川越唐人揃いパレード



10月23日に、第39回日韓記者・市民セミナーが行われ、川越唐人揃いパレードの実行委員長 江藤 善章さんが、「復活!唐人揃い 朝鮮通信使 国際交流・多文化共生パレードの18年」というタイトルで講演されました。

川越唐人揃いパレードは、江戸時代に埼玉県川越の氷川神社の祭礼で、町人の練り物として行われていた朝鮮通信使を真似て、仮装行列「唐人揃い」を再現し、国際交流、多文化共生パレードとして、毎年秋のこの時期に川越で行って来たものです。

私達おもてなし国際協議会は、2019年12月に、韓国の劇団「シルクロード」と共に、大阪〜八王子市まで、朝鮮通信使が江戸時代に行き来した道を辿って、朝鮮通信使に関係する各地の団体との交流活動を行いました。

「新朝鮮通信使」と名付けて、劇団「シルクロード」と大阪港で合流して、大阪→雨森 芳洲庵(長浜市)→名古屋→清見寺(静岡県興津町)を経て、新宿区新大久保にある高麗博物館で交流会を行い、その時に、川越唐人揃いパレードの江藤さんと、事務局長の小川 満さんに挨拶をさせて頂いて、その後メールで時々、情報交換をしていました。

2020年からコロナ禍により、リアルな交流が出来ない状況になり、お二人にもお会いすることが出来ないまま、3年近い歳月が過ぎ去ってしまったのですが、江藤さんが、メールで今回の川越唐人揃いパレードに関する講演会に誘って下さり、講演会の会場であるYMCAアジア青少年センターに行ってきました!

江藤さんは、在日韓国・朝鮮人の多い北九州市戸畑区で生まれ育ち、彼らが差別されているのを見ながらも、理由が分からないまま、早稲田大学に入学。在学中に、在日韓国・朝鮮人の歴史について学び、韓国語も学ぶようになりました。

埼玉県の高校社会科の教員になり、学内外で積極的に在日韓国・朝鮮人に対する差別偏見を克服する活動を行うようになりました。

1974年には、戒厳令の敷かれている韓国を一人旅し、釜山→馬山→江陵→ソウル→釜山と巡る中で、多くの韓国人の親切な心に出会ったそうです。

その時に「国際関係がどんなに悪くても、一対一の関係の中では、境界を取り除くことができる。」と実感し、それが後に行われる朝鮮通信使の活動の基本となったそうです。

朝鮮通信使についてですが、豊臣秀吉の時代には、二度の朝鮮出兵の後に、両国の関係性は冷え切っていました。しかし、徳川家康の政権に移ってから、兵を朝鮮に送らず、「東アジアの平和なくして、日本の平和はない」と家康は考え、朝鮮との国交回復に尽力します。その結果、1607年、朝鮮王朝から、徳川家康への使節が派遣されました。それが朝鮮通信使です。

通信とは「信(よしみ)を通わす」という意味です。通信使は江戸時代に12回、毎回400人〜500人の使節団が来日し、国家間の外交だけでなく、学問・芸術を通じた文化交流が実現しました。隣の国との友好関係が200年も継続した例は世界的にも珍しいと言われています。

川越唐人揃いパレードは、朝鮮通信使の精神を現代に生かそうと、2006年11月に初めて行われ、今年で18回目になります。

全国でも、川越ほどの規模で朝鮮通信使の活動を行っているところは、ほとんど無いと思います。

しかし、残念なことに、今年が最後の川越唐人揃いパレードになると聞き、ショックを受けました。理由はいくつもあるとは思うのですが、①世代交代が進まなかったこと、②主催者の方々も大きなイベントを行うことに疲れたこと。等があったそうです。

こんな大事なときに、おもてなし国際協議会から、私ともう一人のメンバーが講演会に参加したのですが、18年間も掛けて築いてきた平和の精神、おもてなしの精神は、必ず引き継がれないといけない財産だと思いました。

11月3日に川越で別の用事があるのですが、その後の時間で、川越唐人揃いパレードの最終ミーティングに参加することになリました。(川越唐人揃いパレードは、11月13日に行われます。)

この貴重なイベントのミーティングに、自分事として考えて、臨みたいと思います!