絹の道の出発点 横浜!

8月5日、横浜に用事があり、その前の時間で、1854年3月31日に、ペリー提督が初めて横浜に上陸した場所、象の鼻パークに行ってきました!


当時の建物や、記念碑等が、象の鼻パーク周辺のあちこちに残っていて(日米和親条約締結の碑、横浜開港資料館、赤レンガ倉庫等)明治時代に全国から、世界最先端の文物や考えに触れようと、
当時の人々が押し寄せて来た姿が、自然と目に浮かびました!


特に生糸は、横浜開港以来、輸出の70%程を占めた時期が長かったため、生糸商人の活躍ぶりは目覚ましいものがありました。


そのこともあって、象の鼻パークの近くには、なんと、シルク博物館があるのですが、横浜港開港当初に、英国商社ジャーディン・マセソン商会のあった場所に、横浜開港百年記念事業として、1959年(昭和34年)3月、開館したそうです。また、シルク博物館自体が、世界的にも珍しい、貴重な博物館でもあるようです。


とても興味深くて、早速、入館してみましたが、映像で楽しく、蚕について学べるコーナーや、蚕がつくる繭から糸ができて、織物になっていく過程を展示したコーナーもありました。


様々な展示コーナーの中で、シルクと横浜の歴史についての展示コーナーがあり、その中でも、「東北、関東、東山から横浜への絹の道」に、ひときわ興味をそそられました。


今までは、おもてなし国際協議会の拠点である八王子市や、最近、交流の始まった群馬県の絹に関する歴史については聞いてきましたが、横浜を中心に、蜘蛛の巣のように広がった絹の道は、全て横浜の状況と密接に繋がっているのが分かりましたし、生糸や織物が絹の道を経て、横浜港から海外に輸出される代わりに、新しい西欧の思想や技術が、絹の道を辿って日本全土に広がっていった壮大なストーリーを感じました。


横浜に来てみると、海外がより近く感じましたし、同じ「絹の道」の歴史でも、どの場所から見るかによって、大きく違うのを実感しました。


何と言っても、横浜は「絹の道」の出発点であり、歴史的に、海外との入り口になってきた国際都市です。


そもそも「絹の道」という名称は、八王子から遣水を通って、横浜に至る道を指して呼ばれ始めた道なのですが、「絹の道」を足がかりにして、八王子と横浜との交流が始まるならば、海外までも含めた「新シルクロード」ストーリーが展開されていくかもしれませんね。