400年前の朝鮮通信使が、今、蘇る!! 静岡県興津町と韓半島とに秘められたストーリー

10月11日、静岡県興津町では、年に一度、朝鮮通信使ウィークという期間を設けて、朝鮮通信使と経緯の深い清見寺で、ユネスコ記憶遺産登録物の特別展示会を行ったり、朝鮮通信使に関する演劇、スタンプラリー、講演会を行ってきたそうですが、今年のイベントに初めて参加させてもらいました。


私たち、NPO法人おもてなし国際協議会は、昨年12月28日に、韓国の劇団「シルクロード」を招待して、朝鮮通信使に関連する演劇を八王子市で行ったのですが、大阪港から八王子市まで、青春18切符で移動しながら、


朝鮮通信使の辿った場所を訪問したり、朝鮮通信使関係者と交流したいと劇団の代表から提案があり、途中、立ち寄ったのが、実は、興津町でした。


静岡県興津町は、朝鮮通信使の活動を大々的に行っていると噂を聞いていたので、朝鮮通信使の活動を中心的に行っているNPO法人AYUドリームの代表の雨宮さんと、韓国の劇団員が交流できたらと考えていました。


しかし、連絡を取ったのが直前過ぎて、時間が合わずに交流できなかったり、清見寺も予約していなかったので、ガイドがいなかったりして、韓国から来た劇団員にも、雨宮さんにも、その時のことで申し訳なく感じていました。


そうだったにも拘らず、去年12月末に八王子市で行われた日韓友好フェスタに、AYUドリームの理事、青嶋さんが、わざわざ来てくださったことが、きっかけとなって、今回の興津でのイベントに呼んでいただくことになったので、大事なイベントとして、時間を調整して、興津に行くことにしました。


興津町は江戸時代、興津宿といって、宿場町として大変栄えていたそうで、東海道の17番目の宿場だったそうです。


また、清見寺には、朝鮮通信使が4度も立ち寄り、2回宿泊していかれたそうで、清見寺から見える富士山の絶景に、感動したそうです。


今回は、清見寺でガイドの方が詳しく説明して下さっていたので、もっと聞いていたかったのですが、14時から始まる演劇「誠信の交わり~朝鮮通信使~」に間に合うように、足早に清見寺の見学を終え、興津町の交流会館に向かいました。


朝鮮通信使に関連するイベントは、当時の朝鮮通信使の衣装を着て、パレードを行う地域が多いようですが、演劇をしているところは、ほとんどないですし、中学校から、高齢者に至るまで、多様な年齢層の有志で作った市民劇の手作り感に、とても興味がありました。


公演前の挨拶が終わり、待ちに待った、演劇公演が始まりました。コロナの時期なので、劇団員は全員、マスクをしながら演技をしていました。


興津の中学生、3人が普段のように、道端で会話しているところから始まったのですが、ふとした、きっかけから朝鮮通信使の話題になり、そこから、徳川家康が天下を平定した400年前の時代に舞台が移っていきました。


豊臣秀吉の朝鮮出兵によって、日本と朝鮮、両国の交流が完全に途絶えている中で、徳川家康によって、李氏朝鮮国王に対し、平和外交の提案をすることで、第一回目の朝鮮通信使が始まるようになり、それ以降、朝鮮との交流が驚くほど盛んになっていきました。


演劇全体しては、朝鮮通信使の来日を楽しみにしている、当時の興津市民の視点で演出されていて、とても新鮮でしたし、現代に戻って、中学生3人が、自然な形で日韓の友好について語り合って終わることで、興津市民の韓国に対する深い関係性を感じ取ることができました。


今も続く難しい日韓関係ですが、興津の町には、そのような影響を全く感じなかったため、とても羨ましく感じ、「興津は、朝鮮通信使のことで、日韓の友好を自然に打ち出せていいですね。」と代表の雨宮さんにお伝えすると「興津も数年前はそうでなかったです。


大勢の興津の住民は、朝鮮通信使に対して 無関心でしたよ。この演劇も3年目になるけれど、最初の1年目は、細々と行っていたし、良く思わない方もいました。しかし、続けて行うことで、徐々に地域の方たちの考えが変わり、みんなが応援してくれるようになったんです」と仰っていました。


次回、プサンの朝鮮通信関係者が訪れた時には、長野さんも、パレードに参加してくださいと、雨宮さんに仰っていただきました(笑)


同じようにほかの地域でもできるとは思わないですが、今後の多文化共生を考える上でも、参考になりましたし、興津との関係を通して、新たなストーリーが生まれる気がして楽しみです。