パラリンピアン小山 恭輔さんによる 講演と水泳教室に参加!

三鷹市元気総合プラザと、SUBARU総合スポーツセンターで、北京パラリンピック 銀メダル ロンドンパラリンピック 銅メダルの小山 恭輔さんの講演と、水泳教室に参加しました。

パラリンピアンの方の講演は、去年、今年で3人から、聞いていたので、多少、知っているつもりで、参加しましたが、競技の違い、障害の違い、選手の個性の違いによって、全くというほど違います。今回、パラリンピアンと一括りに出来ない新鮮な話しとして、聞くことができました。
登壇者がお二人いたのですが、一人はゲストのパラスイマーの小山さん、もう一方は、小山さんの、お母様でした。
普通は、前半が、どちらかで、後半の残りを、もう一方がするのが普通だと思いますが、小山さんが主に講演をしながら、講演の途中、途中で、母親に、その時の思いを語ってもらう形で、進行していきました。
小山さんは、中学2年の頃、帰宅後に倒れて、ろれつが回らなくなりました。救急車で病院に連れて行き、診察の結果、脳の血管がつまる病気(脳こうそく)だと医者から母親に告知されました。病院で別れる時に、小山さんが、右手を振って別れたのが、右手の使える最後になりました。
それから、トイレすらも、一人で出来なくなりました。看護婦さんに、トイレの世話までしてもらう恥ずかしさを、むしろバネにして、階段の上り下りをしながら、リハビリをし、2ヶ月後に、学校に復帰しました。
小山さんの通っていた中学校は、障害者の学生が比較的多く通う学校で、障害に対する理解がある学校だったことも、幸いしました。
学校の友達は、変わり果てた小山さんのことを、むしろ温かく迎えてくれ、特に学校の担任が、小山さんを大切に育ててくれて、運動会で笛を吹く担当を任せてくれたり、リハビリで、プールに来なさいと呼んで下さったそうです。
友人と再び仲良くなってからも、以前、友達と普通に出来ていたスポーツや活動が出来ないことで、心がくじけそうな時に、母親が「過去に戻っていないで、前を見て、できることをしよう。」と言い続けて、小山さんを、励まして来たそうです。
小山さんは、リハビリで、始めた水泳が、めきめきと、上達し、北京パラリンピック で、銀メダル、ロンドンパラリンピック では、銅メダルを獲得しましたが、金メダルを期待して臨んだ、リオパラリンピックで、5位となりました。また、その後、クラス替えがあったり、泳ぎ方のルール変更があり、落ち込む日々が続いていた時に、再び、母親から「好きなんだから、やり続ければいいじゃない。」と言われ、今は、吹っ切れて、人の評価でなく、自分の最善を尽くす事に切り替えられたと話されていました。
2020年東京大会が、小山さんにとって、おそらく最後のパラリンピック 日本代表を目指せる大会になります。小山さんが、2020東京大会に出場できても、出来なくても、最後まで挑戦し続ける姿を、応援していきたいと思います。

その後の水泳教室は、参加対象が、小学校4年〜中学校3年までなのに、ちゃんと確認しないで、水着を持って来てしまったのですが、子供達に混じって参加出来ました(笑)
個人的には、水泳が超苦手で、それを心配した母親と一緒に何回か水泳教室にも、参加したのですが、体が浮くイメージが全く湧かず、全く水泳をしなくなって久しかったのですが、今年、一度くらいは、プールの冷たい水に浸かりたい、その程度の軽い気持ちで、参加しました。
最初の小山さんの一言が「じゃ、軽く100メートルから泳いで下さい。それくらい大丈夫だよね」と子供達に話しているのを聞き、引きました(^◇^;)
小山さんは、障害の関係で、片手、片足で泳がれます。その難しさを、参加者と一緒に体験させながら、水中でバランスを取る訓練をして下さいました。
途中、小山さんから僕の方に声を掛けて頂いて、「水泳出来なくて、よく参加されましたね。」と言われながらも、個人レッスンを簡単にして頂いたのですが、それが、今まで、ずっと分からなかった部分を一言で言い当て、また、実際に見せてくれました。自分でも、半信半疑でやってみたのですが、体の浮くコツを掴み、水泳の楽しみを初めて感じさせてくれました。思い切って挑戦して、本当に良かったですし、思い出に残る時間になりました!