絹が繋ぐ世界遺産の街 富岡市と日本遺産の街 八王子市

以前から行きたかった世界遺産の街 富岡市ですが、年末の12月28日に行ってきました。


なぜ、富岡市に関心を持つようになったかというと、養蚕と織物で有名だったため、桑都と呼ばれていた八王子市の歴史をストーリーにした


「霊気満山 高尾山~人々の祈りが紡ぐ桑都物語」というタイトルで、2020年6月に日本遺産に登録されたことがきっかけでした。


その後、群馬の上毛新聞の論説委員の方が八王子市の日本遺産認定となった認定ストーリーが、とても魅力的で心躍らされると書いてる記事が目に止まりました。さらに『絹、和装、染色に関わる日本遺産としては、すでに群馬県の「かかあ天下-ぐんまの絹物語」や山形県鶴岡市の「サムライゆかりのシルク」をはじめ、京都府、埼玉、岡山、愛知、徳島県などの遺産が認定されてる。いずれも特有の歴史があり、優れた技術と知恵が蓄積されている。世界遺産のある 本県がリーダーシップをとり、連携して活用を図れば、思いもかけない成果を生むのではないか。』と結んでいて、視野が広くなりましたし、シルクの県、群馬県、さらに2014年に世界遺産に登録された富岡市をもっと知りたいと思うようになりました。


この街に、日本遺産に登録された八王子市のこれからについての答えがあるような気がしたからです。


また、八王子市に八高線という群馬の高崎まで続くローカルな路線があるのですが、この鉄道は、富岡製糸場で作られた生糸を横浜まで運ぶための路線だったことも、その後、知るようになりました。


12月28日、群馬の安中市にいる友人が、その日であれば、富岡市を案内できると言ってくれて、初の群馬県を富岡市で過ごすことになりました。


八王子駅から終点 高崎駅に到着し、そこから上信電鉄に乗り変えましたが、電車の窓から見える群馬の田舎の光景を見ているうちに上州富岡駅に到着しました。富岡駅を降りてみると、富岡市イメージキャラクターのお冨ちゃん像が立って迎えてくれ、また異国情緒漂う街の造りに、とても胸躍らされました。


富岡市在住の有名な建築家 新井久敏氏が、富岡駅周辺や、市役所、富岡商工会議所などの建物を、富岡製糸工場と経緯のあるように、様々な工夫を凝らして設計、建築されたと友人から聞きました。


最初に、駅前にある県立世界遺産センターを見学し、食事を終えてから、富岡製糸工場に向かいました。


富岡製糸工場に近づくにつれ、その荘厳さと美しさに包まれるような思いになりました。


入り口のスタッフの方に、冨岡製糸工場の建物は明治時代のそのままの状態に近い形で残っていると聞きましたが、明治政府が作った工場のうち、富岡製糸工場ほど、完全な保存状態で残ったものは他に無いそうです。


当時、ここに働きに来た女工たちは竜宮城にでも来たかのように驚いただろうと思うしかありませんでした。(有名な冨岡日記にも、そのように書かれているそうです。)


明治維新後、欧米との貿易で最も日本が成功したのが生糸だったのですが、ヨーロッパで蚕の病気が流行したことで、日本からの生糸の輸出量が急増していきます。しかし、生産量が需要に追いつかずに、生糸の質が下がっていき、生糸の大量生産と、品質の向上が課題となってきました。


明治政府は国策として、官営の模範機械製糸場を計画するようになります。


そうする中で、フランス人ポール・ブリューナに白羽の矢が立ち、計画が実行されていきます。建設地は、養蚕業が盛んであり、製糸に必要な資源調達が容易なところ、用地が使えるところなどの観点で、富岡に製糸工場が建設される事に決まりました。これが、富岡製糸工場の始まりだったそうです。


一時間ごとに行われている冨岡製糸工場ガイドツアーがあったので、友人と共に予約して参加しました。


女工たちが繭から糸を取り出す作業をした、140メートルにも及ぶ当時、世界最大級だった躁糸場や、一年間の繭を買い入れて蓄えておいた、木骨レンガ造り(木材で骨組みを組み、壁をレンガで住む和洋折衷の建築法)の東繭倉庫、西繭倉庫、女工たちの治療費や薬代は工場で負担され、女工たちの健康を支えた診察場など、ガイドの方が、丁寧に説明してくださり、短い時間で広い富岡製糸場を満喫することが出来ました。


話は戻りますが、途中、立ち寄った世界遺産センターで、見学を終わった後に、係りの方から館内の所長さんを紹介していただき、富岡市の街づくりについてお聞きしましたが、「率直に富岡市のどこかいいんですか」と意外な質問をされました。「明治時代の近代化を象徴した建物が今もそのまま残っていること、また、ここで働いていた女工たちが、全国で、製糸工場を建てることに貢献したことが、印象的です。」とお伝えしたところ、「ここに長くいると、どこがいいのか、分かりにくくなるんですよね、私も、ここがイノベーションの街だと自負しています。」と話されていて、そこで働いている方のリアルな現実に触れた感じがしました。


富岡製糸工場が世界遺産に登録されたのは2014年。その時は、大勢の観光客が訪れ、全国の絹産業の町々も世界遺産の街 富岡市に学ぼうとしていたし、様々な連携も進んでいたようですし、富岡製糸工場の世界遺産登録3周年を記念した「紅い襷」という映画を制作したりと、魅力的な取り組みを行ってきましたが、最近は観光客が減っていて、富岡市として何とかしたいと思っているようでした。


世界遺産センターの所長さんと話してみたときに思ったのが、他の市との連携に対して、過去の経験から


積極的に取り組むのが難しいという認識が強いことでした。これは、八王子市も同じことが言えるのであって、自分たちの市や街の発展を中心に考える内に交流が疎かになるのは自然だと思います。


ただ、それだと人間関係も同じように、他の地域との関係性が維持、発展できません。問題を解決するためには、過去の方法を発展させるよりも、過去を土台にしながらも、さらに新しく高い次元で、各地域の世界遺産、日本遺産を互いに活用したり、他の地域の発展にも貢献していく考えの転換があったらいいように思いました。


何かしら、日本遺産の街 八王子市と世界遺産の街 富岡市が繋がっていく働きかけを行えないかと思いながら帰路に着きました。