台湾の南端の離島 蘭嶼(らんしょ)から見た台湾 酒井 充子監督と巡るオンライン蘭嶼ツアー

10月17日に台湾世界遺産登録応援会の定例 楽習会が新橋の貸会議室で行われました。


台湾世界遺産登録応援会の楽習会に会長の八田修一さんから、お誘いを受けて、オンライン参加も可能でしたが、現地参加をさせてもらいました。


その日のゲストスピーカーは、酒井 充子さんで、「台湾万歳」や「台湾アイデンティティー」等、戦前、台湾で日本教育を受けた人々を描いたドキュメンタリー映画で有名な方ですが、私は台湾についての見聞が浅く、今回、初めて、この楽習会で知ることになりました。


今回は、現在、酒井監督が映画撮影を行っている、台湾の南の離島蘭嶼についての楽習会でした。


台湾には16の原住民が現存していますが、その中で唯一の海洋民族で、現在、実際に蘭嶼 に居住していらっしゃるタオ族の地域住民は4000人ほどらしいです。台湾本島の南東に位置していて、船で2時間程、離れた場所になります。飛行機は、しょっちゅう欠航するので、使わないで下さいとのことでした(笑)

島の名前は蘭がたくさん咲くので蘭嶼と名づけられたのですが、名前にふさわしく、住民も島の景色も、息を呑むほど、美しかったです。


日本との歴史は、1895年下関条約が締結された後から始まります。


日本政府は原住民の保護を目的にして開発を禁止し、日本人の文化人類学者がそれ以降、訪れているのですが、1897年に、文化人類学者 鳥居龍蔵氏の蘭嶼調査は特に精密にされたようで、その時の貴重な写真の多数の記録が、近年、東大で発見され、注目されていて、当時の蘭嶼を伺い知ることがことができます。


日本は、 蘭嶼を開発はしなかったのですが、日本語教育だけは行ったため、未だに、日本語のできるお年寄りが存在し、過去にタイムスリップした気分になりました。


島の食べ物としては、トビウオと、タロイモがよく採れ、タオ族の男性はトビウオを採り、女性は、タロイモを採るのが、伝統的に主要な仕事でした。


写真にも載せましたが、トビウオを採る船が特徴的なのと、トビウオは、神のような存在として、大切にされていて、トビウオが来るとき、去るとき、待つとき等で昔から一年を分けていたそうです。


蘭嶼の名物の一つに、トビウオおにぎりと言うおにぎりがあって、毎日、行列ができるほど、おいしいらしいです。少し高いようですが(^◇^;)


タオ族伝統の住居は、半地下になっていて、雨風に耐えやすいように作られている伝統的な家屋ですが、中国国民党が台湾に入ってきて、島が開発されて、多くはなくなってしまいました。その時に作った国民住宅は、タオ族の人達にとって、外観は華やかでも、使い勝手が悪かったらしいです。


将来、世界遺産として登録されても、おかしくない条件をそろえていますが、1982年に、缶詰工場を作る名目で、核の貯蔵所ができてしまい、今でも島の雰囲気とは合わない巨大な建物として残っています。


戒厳令が終わった90年代から、タオ族住民による抗議活動が盛んになり、96年には、その場所自体は、核の貯蔵所としての使用は中止になったけれども、未だに、どこにも移せず、核の島のイメージが付きまとってしまう痛々しい部分が存在しているのです。


蘭嶼の6部族が住む町を写真で、酒井さんが説明しながら、島を一周してくれましたが、講演後、参加者の方が口々に、蘭嶼に行きたくなったとか、来年行きましょうという声が挙がっていました。さすが、台湾世界遺産登録応援会は、台湾に熱いですね!


今まで聞いてきた台湾についての話とは、全く違って新鮮でしたし、このように、マイノリティーの観点から見ることは、今後の台湾や日本を深く語る上で、まずます、大事になってくることを実感しました。