日野市国際協会主催、
第1回多文化共生講座で、司会をしました!

日野市国際協会主催、第1回多文化共生講座で、司会をしました!

2020年1月25日に、「地域日本語教育の展開と多文化共生社会」というタイトルで、日野市国際協会主催の、最初の大きな行事が、日野市生活保健センターで、行われました。


特に、日野市多文化共生推進委員になって、初めて司会という大きな役割を与えてくださり、イベント開催までの期間に、日野市国際協会のスタッフの方々と共に、準備をさせてもらいました。


講師の野山 広さんは、国立国語研究所の方だと、聞いていたので、難しい話をされるのかなと、心配していたのですが、外国の方に、たくさん会っていることもあって、とても親しみやすい雰囲気の方で、誰にでも、分かりやすく話して下さいました。


多文化共生という言葉ですが、本格的に使われ出してのが、2005年〜2006年の間だったらしいです。


地域に暮らす在日外国人と日本人の交流のために1980年代から国際交流協会が全国に設立されていきましたが、2000年代に入って、交流から共生に移行して行ったそうです。


総務省が、2006年3月に発表した多文化共生プログラムには、

①コミュニケーション支援(情報の多言語化や、日本語学習支援など)

②生活支援(教育、労働環境、防災など)

③多文化共生の地域づくり(地域住民の意識啓発、外国人住民の社会参画など)に分けられていますが、


②の問題が広範囲に渡って、深刻になりつつあったために、それを①と、③で、支えて行く位置づけだったようです。

②に当たる具体例として、居場所がなかったり、友人がいなくて、悩みを打ち明けられなかったり、言語の壁によって、必要な情報を得られないといった、日本人男性と結婚した外国人女性に関するドキュメンタリーの映像を見せて頂いて、外国人住民の問題の実情を、はっきり分かったのが良かったです。


ドキュメンタリーには、日本人の夫と意見が合わずに悩みを抱えている中国雲南省の外国人ママAさんが出ていて、自分の現状を、取材されている方に吐露していました。


その状況を知った、滋賀県の外国人ママの支援をされている方が、定期的にAさんの家を訪問して、外国人ママの集まりに招き、徐々にAさんが、回復して行く姿をみて、とても胸を打たれましたが、それについて、野山さんが、以下のように解説して下さいました。「新しくコミュニティーに入ってきた少数の在留外国人が、多数を占める日本人に話しかけるのは、見えない圧力があり、難しい。日本のコミュニティーは、排他的なところがあり、特に、そうだから、彼らが話してくるのを待つのでなく、多数の側から、できれば、その中でもリーダーにあたる人が、少数の立場の在留外国人たちに話しかけに行く時に、彼らが早く溶け込むことができる。」と仰ったのには、納得が行きました。


以前、多文化共生を専門にしていて地域の街づくりのアドバイザーをされている教授が、「在留外国人の意思が大事だから、彼らが自立できる環境だけ作って、多数の我々は、何もする必要がない。それは、彼らの自立を損ねる。」と話していらっしゃったことに対して、何か腑に落ちなかったことも、思い出しました。

ドキュメンタリーで、誰にも悩みが話せなかった、中国雲南省出身のAさんの気分が転換したポイントが3つありました。


ポイント:
①外国人ママの集まりに参加したこと
②その集まりで自分の故郷である雲南省について、みんなの前で、話せたこと。
③そこで、仲良くなる中で、周りの外国人ママも、同じように大変だと分かったことです。

③までのプロセスに進んでいけるように、ボランティアの方達が、サポートしてあげるのが大事で、その上で、外国人ママたちの自己肯定感が生じて、将来を考えられるようになり、その力で、多文化共生社会を一緒に作っていけるのだと、分かりました!


多文化共生の範囲は広く、去年、日野市多文化共生委員に入って、部分的に関わる中で、少しずつ経験を積みましたが、今年、さらに、心が繋がる多文化共生の活動を目指そうと、決心する時間になりました。