第一回グローカルユース フォーラム 八王子市日本遺産認定 1周年記念イベント 「世界遺産の街」富岡市と「日本遺産の街」八王子市の明日を紡ぐ、グローカル人材!

6月19日、八王子市日本遺産認定1年になる日に、ゲストとして、富岡市から富岡市観光協会観光地域づくり特任部長のダミアン・ロブションさん、八王子市文化財課主査の草間亜樹さんが参加して下さり、歴史的に生糸と経緯のある両市の連携について考えるフォーラムイベントを行うことが出来たことを、関係者の皆さんに、心から感謝しています。


イベントのきっかけとなったのは、2020年6月19日に八王子市日本遺産認定が決定した後に、上毛新聞の論説委員が書いた記事を、たまたま目にしたことからでした。

「八王子市は、大量の生糸の集散地となり、幕末・明治期には、横浜に直接生糸が運ばれた。この地の市(いち)に足を運んだ前橋の生糸商も多かった。

絹、和装、染色に関わる日本遺産としては、(八王子市以外に)群馬県、山形県鶴岡、京都府、埼玉、岡山、愛知、徳島県などの遺産が認定されている。

いずれも特有の歴史があり、優れた技術と知恵が蓄積されている。世界遺産のある本県がリーダーシップをとり、連携して活用を図れば、思いもかけない成果を生むのではないか。」

それ以降、関東のシルクネットワークに関心を持つようになり、詳しく調べてみたところ、その中心が、富岡市であることが分かりました。2014年6月21日に富岡製糸場と絹産業遺産群が世界遺産登録されることで観光客が富岡市に押し寄せ、他の絹産業で栄えた市町村にも追い風となり、八王子市も、その時期に富岡市世界遺産登録の影響を受けたようです。

また、かっては富岡市の生糸が、JR八高線によって、群馬県高崎市から八王子市を通って横浜港に運ばれていたこともあったそうです。

共通項のある国や市を比較すると、それぞれの特徴が明瞭になるものです。富岡市と八王子市は都心に近い、自然に囲まれた市という意味では共通していますが、好対照な両市であることを、ダミアンさんの基調講演やバネルディスカッションを通して知るようになりました。

富岡製糸場は、明治政府が建てた官営工場で、現在までほぼ完全に残っている唯一の工場として、圧倒的な存在感を誇っています。

その理由の一つには、戦前の空襲の被害を受けなかったこと、また、1939(昭和14)年に、日本最大の繊維企業である片倉製糸紡績株式会社に合併された富岡製糸場は「片倉富岡製糸場」と名前が代わりますが、1987年に閉業した後も、片倉工業株式会社は片倉工業株式会社富岡工場を「売らない・貸さない・壊さない」という方針のもと、年間最高金額1億円もの維持費を投入して、2005年に富岡市に寄贈するまで、手入れをし続けたからなのです。

世界遺産登録に至るまで、数々の経緯があったことがダミアンさんの話の中で分かりました。

また、富岡製糸場は、生糸の大量生産を実現した「技術革新」と、世界と日本との間の「技術交流」を盛んにさせた絹産業に関する遺産です。
その流れを受けて、国内では、長野県岡谷市、埼玉県深谷市、神奈川県横浜市の3市、国外は、富岡製糸場の建設の担当者、ポール・ブリューナ氏の故郷である、フランス、ブール・ド・ベアージュ市との姉妹都市になっていますが、特にフランスの姉妹都市ブール・ド・べアージュ市を中心としたフランス南東部のシルクネットワークを発展させていった、ダミアンさんの経緯を詳しく聞くことが出来ました。

八王子市日本遺産認定に関しては、八王子市文化財課の草間さんが、パネルディスカッションの最初に説明して下さいました。
八王子市が日本遺産認定を目指し始めたのは、八王子市制100周年の年となった2017年だったそうです。

八王子市政100周年の年に、八王子市100年の歴史を振り返り、100年の歴史をどう伝えていくかのツールとして、日本遺産認定を目指すことになったそうで、2年間準備した後に、日本遺産認定のための申請をしたそうです。 

八王子市は、富岡市と違って、絹産業遺産群が分かりやすい形で残っていないと仰っていました。
八王子市には、終戦間近の時期に八王子大空襲があり、おそらくその時に、八王子市一帯の織物工場が、大きな被害を受けてしまったことが、原因の一つではないかと思います。

八王子市の絹産業遺産群について、草間さんが話して下さる途中で、2つの短い映像を見せてくださいました。一つは古くから続いている大原織物の代表取締役、大原進介さんのインタビュー映像、もう一つは、織物工場として使われなくなり、解体する直前の廃工場全体を映像に収録したものでした。

草間さんの話を聞きながら、日本的で独特の味のある八王子絹産業遺産群にどんな思いを込めて、また、どのように残していこうとしているのか、その一部を知ることが出来ました。

また印象に残ったのは、八王子市は、江戸時代に甲州道最大の宿場町として流通の経路だったこともあり、道を繋いで交流をして行くことで活路を見出す場所だと話していたことです。

八王子は長野→山梨→八王子→横浜までの重要な通路でもありましたが、群馬→埼玉→八王子→横浜という山なりの通路もあって、とても面白いテーマだと話されていました。

学生のパネラー二人も、積極的に意見を交わし、二部のパネルディスカッションは、非常に盛り上がりました。

ファシリテーター兼パネラーを担当した、ツナグ〜across2020〜の村上さん(東京学芸大学)さんは、各パネラーの得意分野に合わせて質問をし、うまく雰囲気を作っていました。

また、パネラーでGmoto Projectの武部さん(立教大学)も、コロナ禍での観光に関して、考えた末、観光とは、光を観るという意味があることから、地域の資源に個性の光を見る「地元観光(自分の地域を観光する)」に考えが行き着いた経緯を話してくださり、そこから、地元の人たちがどうしたら、自分の地域に関心を持てるようにできるかという話に発展していきました。

かって関東圏にあった絹の道(シルクロード)を活かして、絹織物の産地や絹産業遺産群同士が、連携事業を行っていたことは以前にもありましたが、次世代を担う若者たちが、絹の道連携に関してのディスカッションに参加するのは、初めてではないかと思います。

今日参加した、積極的で夢に満ちたパネラーの学生たちが、グローカル人材として、利害や過去のしがらみにとらわれずに地域を超えて交流し、対話を続ける中で、未来に繋がる新たな絆を深め、新桑都(八王子)物語を作っていくのではないか、ととてもワクワクする思いで、イベントを終えることが出来ました!